2015年の記事

お金を出してしまったことはしょうがない、いつまでも根に持つような小さな人間ではないつもりだ。しかし、と居間に一人残されて手酌のビールを飲みながら小島勇は思うのだった。岡倉の義父さんは、日向子のために預けた金が何の役割も果たさず、挙げ句の果てに税金で大半をお上に召し上げられるのだから、やりきれない気持ちで一杯だったろう。
愛の場合は、まったく驚天動地の破局でもって予定が狂ったので、これが天命と思えば諦めもつく。ウイスキー造りに血道をあげるような浮ついた男に愛を取られなくて良かった、とさえ思う。しかし、日向子の場合には、岡倉の義父さんが一度に大金を動かす必要はなかったと後から人に聞かされていたから、無駄金になりそうだとわかった時の、裏切られた思いはひとしおであったろう。
たとえば、医学部入学が決まって入学金が必要になった段階で、孫のためにお金を使うことに税金はかからないそうなのだ。初めからそう聞かされていれば、信託銀行の言うがままに大金を投じることもなかったろう。

 

最近でこそ体調が優れない様子の義父だが、以前はちょっとした病気ぐらい平気で克服し、見違えるように体格も良くなってリニューアルされるような体質の義父なので、そもそも相続税対策など慌ててやる必要もなかったのだ。今から冷静になって考えると、義父の場合、全てがトンチンカンな勘違いがもとで大金を動かしていたと言えなくもなかった。

 

勇がそう思うのも、最近妻の五月から気になる話を聞かされていたからだ。

(続く)

 

 

「安菱信託の太田くんも、ずいぶん気にしていてな。結婚を間近に控えたお前に、とっておきのプレゼントができると言って用意してきたのが、平成27年度税制改正で導入された結婚・子育て支援資金贈与の非課税措置だったんだ。お前もあの時には有頂天だったものだから、信託銀行と契約をして結婚から出産、子育てまで、何でも使える資金をお前の口座に振り込んだ。それが、計画通りいかなくなったものだから、太田くんも慌てているんだよ。」

状況説明を端的に、よどみのない長ゼリフでできるというのが小島勇の特技でもあった。

 

はたで聞いていた、愛の弟、眞が坊主頭をかきむしりながらおもむろに口を開いた。

「父さんも、愛姉ちゃんの気持ちを少しは考えてみろよ。信託銀行の太田だか何だか知らないけれど、どうしてそいつに、うちの財産やら結婚やらに首を突っ込まれなけりゃいけないんだ。太田っていう人間の考えていることくらい、俺には全部わかるよ。姉ちゃんがこのまま結婚もしないで、例えば50歳になるとするだろ。信託銀行に預けた金にはぜーんぶ贈与税がかかってくるんだ。そうすりゃ提案をした手前、信託銀行の信用も丸潰れさ。だから、こういう時に備えて、見合い写真を山ほど抱えているって言うぜ。」

やや鼻にかかった声で、これだけのことを一気に言い終えた眞は、ごちそうさまと小さく言ったまま、居間から出て行ってしまった。

 

勇は一層気鬱になるばかりだった。眞の言うとおりだ。娘に幸せになってもらいたいという気持ちには嘘がないつもりだが、信託銀行に預けた金に、贈与税が課かってしまうのはどうにも我慢がならなかったのだ。

かりにそのようになったとして、許せないのは信託銀行の太田くんではなく、人の心をどのようにでもコントロールできると考えている「お上」であり、それに手もなく操られてしまった自分自身の不甲斐なさだった。

(続く)

 

 

妻の五月が不機嫌そうに口を挟んだ。

「また太田さん? あの人が医者を継ぐはずの日向子のために是非って言うから岡倉の父さん、教育資金贈与の契約をしたけど、日向子は板前修業するって決めてから、あてがはずれちゃって。道場六三郎の炎の料理人専修学校にでも通わない限り、30歳になったら、まとまった贈与税を払わなくっちゃいけなくなったでしょう。父さん太田さんのこと、もう信用しないって言ってたわ。」

 

ため息をついて写真を突き返しながら、愛はつぶやくように言った。

「お父さん、ごめんなさい。今はとてもお見合いなんて気持ちじゃないの。」

愛の目には、かすかな怒りの表情が浮かんでいた。気分を新たに新年を迎えようとしていたところへ、急に昔の話を蒸し返されたようで、内心とうてい穏やかではいられなかったのだ。

 

愛が政春と結婚しようと心に決めたのは、ちょうど1年前のことだった。話はトントン拍子に進み、両家の顔合わせ、式の段取りまで済ませたところで、急に破談になってしまった。原因は明らかに政春にあった。スコットランド留学中から付き合いのあった女性との関係を、清算できていなかったのだ。

(続く)

 

 

平成31年、新年を迎えたばかりの小島勇の気持ちは晴れなかった。

平成29年に消費税率が10%に引き上げられた直前の駆け込み需要によって、例年にない業績を上げた勇の経営する会社ではあったが、その後の反動は思いのほか大きく、平成30年度決算では赤字に転落しそうな雲行きだった。

勇が家族そろった正月の席にも、浮かない顔をしているのは、会社の業績が思わしくないことばかりが原因ではなかった。娘の愛のことが気がかりだったのだ。

 

「年末に挨拶に来た安菱信託銀行の太田くんが、愛の結婚式の日取りを聞いてきてな。彼にはその話はなくなったって言ったつもりだったんだが、まだだったみたいで。太田くん翌日、飛んできて、こんな写真を置いていったよ。」

勇は愛の顔をちらと見やってから、太田の持ってきた「見合い写真」を、愛の前に差し出すのだった。

安菱信託銀行では、見合い写真をストックしておくのが当たり前になっているらしい。平成27年度税制改正以来「リスク対応」として、全社を挙げて取り組んでいるというのだ。

(続く)

 

 

平成27年度税制改正大綱では、次世代への財産移転のための措置が充実していることは、前述しましたが、平成31年6月まで延長されることになる住宅取得資金の贈与税非課税措置には、あからさまな消費誘導の意図が見られます。

消費税率8%引き上げによって冷え込んだ需要を回復させる一方、消費税率10%引き上げ直前の駆け込み需要を抑え、更に税率10%引き上げ時には極端な財産移転の緩和を行って、需要の下支えを行うといった内容になっています。96958A9E889DEAE3E6EAE1E7E6E2E1E3E3E0E0E2E3E69797EAE2E2E2-DSXMZO8148216031122014EA7001-PB1-2

大綱では「良質な住宅用家屋」とそれ以外に分けて、細かなスケジュール割りで贈与税の非課税枠を定めています。「良質な住宅用家屋」の非課税枠を時系列でまとめると、上図のようになります。

住宅取得資金の援助が見込める方は、材料価格の今後の見通しなども絡めて、住宅取得の時期を慎重に検討しなければなりません。